CIVILIAN「人間だもの」について

 

 この頃知ってとても好きになった曲に、CIVILIANの「人間だもの」がある。語句として明示的には出てこないものの、クリスマスに恋人から裏切りの告白を聞かされるというのが大筋の内容になっている。

 最初らへんの「街は今華やかな飾り付け 壊れたカメレオンみたい 場違いな僕らは」がまずとても好き。比喩として洒落ているうえ、きらきらした周囲の世界とおかしくなった「私とあなた」の世界との対比をうまく示している。ここのおかげで、のちに「私とあなた」の世界がどんどん歪んでいくときに、周りの世界との残虐な不協和音ががんがん鳴り響く仕掛けになっている。

 そして、最も良いのがサビである。ここは「あなた」が「人間だもの」と繰り返すところと、それを観察する曲中主体の思考が書かれている。1番サビの出だしは「あたし人間だもの だって人間だもの まるで人類の代表みたいにあなたが口走る」。「まるで人類の代表みたいに」。ここ以外でも「まるで自分も被害者みたいに人間だと主張している」、「まるで口にするだけで全てが赦されるかのように」「まるでリピート再生みたいに人間だと主張している」などとひたすら嫌味な描写が続くのだが、重い演奏や激しいが抑えた歌い方から、曲中主体がただ嫌な奴なのではなくて、猛烈な怒りを抑えながら「あなた」に向かっているぎりぎりの心からこうした悪意ある感想が湧き出しているところを感じられる。こうした煮えたぎるような怒りにフォーカスした曲はあまりないので貴重だし、また理性と感情が入り乱れる主体の心の有り様はとても美しいと思う。

 加えて言及しておきたいのが、「人間だもの」というセリフの扱いだ。「人間だもの」という言葉には弱さや卑小さを肯定する響きがある。ここで「あなた」が「人間だもの」と繰り返すのもそのためだ。私も自分の弱さや卑小さや愚かさを思い知らされることばかりなのでこの「人間だもの」の思想には共感するところが大きい……のだが、とはいえ人間にはそうした欠点を克服していく強さもあるはずだ。そして、そのために理性や徳や努力といった強さにこそ「人間」らしさを見出すことも可能なはずだ。さらに言えば、弱さだけを「人間だもの」として肯定するのでは、その者は強さとしての「人間」らしさをほんとうに完全に失ってしまうのかもしれない。もちろん我々は常に強くいることはできない。しかし、あらゆる弱さや卑しさを「人間だもの」で肯定してしまうような態度は切り捨てて然るべきだ、ということを突き付けているのがこの曲だと思う。

 最後に、この曲はラストのフレーズも素晴らしいのだが、そこをネタバレするのはさすがに憚られるので各自で聴いていただきたい。

祝祭と地獄と日常と

 マスメディアでもSNSでも、東京五輪の熱狂やドラマと、新型コロナウイルスの感染拡大や病床逼迫のニュースとが交互に流れていく。そんな日々が二週間ほど続いた。このすさまじいコントラストを見て、何か感じた人も多いと思う。東京五輪が終わる今日、これに関連して二つ言いたいことがある。

 

 一つは、五輪が終わってからも、同様の状況は存在し続けるということだ。これまでも、素晴らしいスポーツの試合が行われたその日に、飢えに苦しんでいる人がいた。感動的なコンサートがあったその日に、死病に倒れていた人がいた。あるいは誰かの誕生日パーティが行われているその日に、どこかで自殺している人がいた。ただ、普段の生活の中ではそうした歓喜と悲惨は切り離されているため、その対照についてあまり考えずに済む。今回は五輪もコロナもともに例外的な注目を浴びるトピックであったため、その対照を明白に見て取ることができた。

 私は、これがいつものことだから正常だと言いたいわけではない。むしろ、五輪が終わったのちにも、世界は常に狂っているということを主張したい。

 

 二つ目は、これは本当に余力があればでかまわないのだが、上に挙げたような「悲惨」を緩和するために何らかの力を出してほしいということだ。コロナに際して、多くの人は程度の差はあれ自粛をしたと思う。そして、「命を救うために自粛するべき」というテーゼが正しいのであれば、「命を救うために資金や労力を拠出するべき」ともまたいえるのではないだろうか(私は以前、無限に自粛する必要はないという主張をしたが、ある程度自粛する必要はあると考えている。資金や労力の拠出についても全く同じである)。私は、きわめて少額ではあるが、飢餓救済団体に毎月寄付するようにしている。この狂った世界をごくわずかにでも何とかしていこうという人が一人でも増えてくれればとてもうれしい。

「映像の世紀「夢と幻想の1964年」」(NHK)記憶メモ・雑感

 1964年の東京オリンピックも実はグダグダだったのではないかという意見をときどき耳にする。前回の東京五輪は一般的に良いイメージがあるが、それは回想によって生まれたものにすぎず、現在グダグダ感が溢れ出している今回の五輪も後になればよかったものとして語り継がれていくのではないかという見方である。

 今日の午前、NHKの「映像の世紀」で、1964年の特集をやっていた。ちょうど、前回のオリンピック当時の様子を知るいい機会だったので見てみた。以下、記憶に残っているシーンや発言をメモしていく。

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・当時の世論調査で、五輪が最大の関心であるという人は2パーセントほど。一方で、「ほかにやるべきことがある」という回答は6割近くあった。

・具体的には、1964年の夏は記録的な干ばつで水不足だった。東京は断水もあり、自衛隊給水車を出すような状態。高級ホテルのプールが開いていることに批判が集まるなど。大臣のかけ声で昼夜問わず荒川の工事を行ったほか、8月後半に台風が来てなんとか解決。

・都市開発はかなり進んだ。五輪以前、東京はそれまでの無秩序な開発により渋滞が常態化し、自動車の平均速度は20km/h、ラッシュ時には2km/hという状態だった。

野坂昭如「南青山の街は完全に失われた。以前はどの軒先にも風情や思い出があり見るたびにいたたまれなくなったが、私の失敗の痕跡は完全に消え去ってくれた」*1

開高健(建設労働者の労災について)「両耳聞こえず92万円。片腕ぶらぶら73万円。腎臓1つ46万円。人体の一部の値段は、インドなどよりは高いが、子宮から墓場まで保障するデンマークなどと比べればたいへん低い」

ライシャワー米大使刺傷事件が発生。輸血用血液に売血を用いたため大使が肝炎になり、売血が社会問題に。

・8月にはトンキン湾事件*2が発生

聖火リレーは過去最大規模(当時)で、アジア各地を通過。特にビルマの首都ラングーンなど、旧日本軍が戦闘した地域で敢えて開催。日本が平和国家に生まれ変わったメッセージとして。

・最終走者は坂井義則。1945年8月6日広島生まれ。

石川達三「開会式を見て、これほどの選手がここに来るのにどれほど犠牲があることかと思った。聖火をここに運ぶのにもたくさんの骨折りと費用がかかる。しかし、これによって各国の親睦が深まるならば、なんと安い犠牲ではないか」

小林秀雄「私は初めてこれほど熱心にテレビを見た。一枚の硝子に映った抽象的な絵にすぎないが、これは生きた抽象である。私は選手による肉体的な表現を満喫した。オリンピックが嫌いだった人も、始まれば案外テレビにはりついているのではないか」

・閉会式は開会式と同様に各国ごとに入場する予定だったが、選手たちが国を問わず肩を組んで思い思いに入場。現在でも有名なシーンに。

・五輪終了後は建設需要が消え、不景気に。倒産件数は2倍に。

・テレビ「つわものどもが夢の跡、五輪が終わって、五輪のために作ったものはすっかりいらなくなってしまいました」

・選手村の備品はのちに即売会でたたき売りされた。

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 こうして見ると当時も五輪への冷めた見方がありつつも、実際に始まると盛り上がったようだ。また、現在において当時の社会問題など影の部分が現在あまり思い出されず、良い面が強調されがちであることも事実といえそうだ。一方で、やはり「焼け跡からの復興」「平和の祭典」というイメージをしっかり作りつつ*3、競技も含めて大会期間中に相当な盛り上がりを作れたことが、後世に良く語り継がれる要因となっているとも見える。一方で、今回の五輪は特に見るべき大義もなく、観戦含め外出自粛の世相なので盛り上がりもそこまで期待しがたい。したがって、競技自体はそれなりにドラマがあり記憶にも残るものとなるのだろうが、ロンドン五輪でもリオデジャネイロ五輪でもない特別な「東京五輪」として語られていくことはないように思う。

*1:発言は正確な引用ではなく大意。以下同様

*2:ベトナム戦争において米国の駆逐艦北ベトナム魚雷艇に攻撃されたとして、米国が北爆を行うきっかけとなった事件。後に虚偽と判明。

*3:当然、これらが欺瞞的であるという指摘も可能

それほどの義務がありますか――自粛について――

 現在、新型コロナウイルスにかかわる緊急事態宣言が4都府県に、蔓延防止等重点措置が7県に発出されている。一応期限はいずれも5月11日となっているが、延長が検討されているという情報があったり、新たに発出を要請する県があったりと、対象地域が増える気配はあっても減る気配はない。一方で、この大型連休の人出は昨年の同時期と比べて大幅に増えたようだ。

 

 私はこうした自粛をしない人々について、あまり非難する気にならなくなってきている。特に、長期間にわたって自粛に協力してきており、最近それが緩んできたような人間についてはほとんど非難できない。むしろ、そうした人々にさらなる自粛を要求する側がその正当性を問われるべきであるように思う。

 

 類比として、以下の問いについて考えてほしい。

はしかによって世界で年間20万人の子供の命が奪われている。はしかには予防接種が有効である。約3000円で、つまりCDを1枚買うお金で、170人の子供にはしかの予防接種を行うことができる。では、あなたがCDを買おうとするとき、その3000円を、はしかの予防接種のために寄付すべきだろうか。*1

 この質問に対しては、答えるのをためらう方もいるだろうし、イエスと即答する方もいるだろう。あなたが後者であった場合、同じ問いはCDだけでなく、飲み会をするとき、本を買うとき、旅行をするときなど、生活・生計の維持に必要ではない支出のすべてについて、しかも一度ではなく毎回向けられるものと考えてほしい。第三者的に見ればこうした用事が子供170人の命より価値を持つとは言えないので、常に答えはイエスであるべきだろう。しかし、実際にあらゆる「不要不急」の支出を切り詰めて寄付をすることが道徳的義務として求められるとなれば、さすがに何かおかしいと感じるのではないだろうか。

 自粛についても同様で、道徳的に正しい行為であっても、それを無限に要求することが正しいとは言えない。もちろん死者数の減少につながる行為は一般的に良い行為であり、奨励されるべきだ。しかし、すでに長期間にわたって自粛に協力してきた人間にその継続を求めることは、無限の寄付を要求することに似た過剰な要求である可能性が高い。

 

 加えて言えば、同じ負担を継続して負い続ける場合、時間が経つにしたがって最初のうちとは比較にならない負荷がかかってくる。単に3㎞歩くことと30㎞歩いた後でさらに3㎞歩くこと、あるいは単に一日断食することと十日間断食した後でさらに一日断食することとの差を考えればこのことは容易に分かるだろう。同様に、一年間自粛をした後の更なる自粛は、昨年の一度目の緊急事態宣言における自粛とは比較にならない重さがある。特に中高生や学生などの場合、限られた年数の中で勉学のみならず運動、文化活動、社会的活動、旅行、賃労働などに従事し見聞を広めることはその後の人生においてきわめて有用なはずだが、すでに一年間が事実上吹き飛んでしまった中で残った期間が削られていくのは、莫大な損失といえるだろう。

 

 もちろん個別の個人や団体が感染予防のため、自粛をしていない人間との交流を断つことは基本的に自由である。したがって、周囲のそうした個人/団体と自己との社会的関係のため事実上自粛を強いられる者がいるとしても、それ自体は不当であると言えない(現に私は連休中にかなり厳しい自粛を行った。中小企業に勤務しているため、職場でクラスターなどを出せば業務の大部分が止まってしまい、自分の収入も危なくなるためである)。この文章における主張は、自己の利害関係を超えた道徳的要請のために自粛を行うべき義務はもはや大部分失われた、という点である。

 

 かつて、ある首相は航空機ハイジャック犯との交渉に際して「人命は地球より重い」と述べ、超法規的措置により獄中のテロリストを釈放した。一方で、当時毎年8000人以上の死亡者を出していた交通事故について、その首相が自動車の使用を大幅に制限するなどの抜本的な対策を行ったという形跡はない。特殊な死は厳重に予防される一方、日常化した死は半ば仕方のないものとして受け流されていく。「人命が最優先」という規範も、その実かなり政治的・偏頗的である。

 

 

 

 

*1:瀧川・宇佐美・大屋(2014)『法哲学』p20,21。元々の文脈は功利主義に対する批判。

善いことをする動機に関するメモ

 人が善いこと、典型的には自分に金銭等の明白なメリットがないにもかかわらず困っている人を助けるなどといった行為をするのはなぜだろうか。最も素朴に考えれば、その人が利他的な博愛精神の持ち主だからだろう。一方で、他人のためになる行為も、それを行った人に名声や達成感など何らかのメリットをもたらすのであり、したがってあらゆる行為は本質的に利己的な動機から行われているとも考えられる。実際、私も過去の記事では後者のような見方を書いていた。

 

sansdeux.hatenablog.com

 

 

(2つめの記事への感想)

 

 しかし、上記の記事にも疑問として記した通り、一般的に社会では(素朴な意味で)利他的な行為をする人間のほうが好まれる。こうした行為の動機と行為の価値との関係について、児玉聡『実践・倫理学 現代の問題を考えるために』の第8章「善いことをする動機」を読んで認識が深まるところがあったので、印象に残った部分をメモしておく*1

 

 冒頭に、2014年に韓国で発生したセウォル号の沈没事故の例が挙げられる。この事故の際、沈没直前に客室乗務員が無線で操舵室に指示を仰いでいたが、操舵室の乗員は無視し続け、さらに船長は救命措置をとらずに先に脱出していた。一方、ある乗務員は「乗務員の退避は最後。みんなを助けた後に私も行くから。」と言って最後まで乗客の救助を行い、最終的に船が沈没したのちに遺体で発見されたという。

 この例において、逃げ出した乗員や船長と、救助にあたった乗務員が道徳的に同等であるとはいえないだろう。第一に、救助に当たった乗務員は、乗客を助けるべきであるという純粋に利他的な動機から行動した可能性も十分にある。第二に、仮にその乗務員がある種の利己的な動機(たとえば、自分が生き残った後に死んだ乗客を思い出すと気分が悪い)から救助に当たっていたとしても、救助にあたっていたのであればそれだけで逃げ出すより優れた行いをしたといえるだろう。(この点に納得できない方は、次のことを考えてほしい。事故の後、船長には殺人罪が適用され無期懲役の刑が下った。もし最後まで救助に当たった乗員が、その後たまたま生還した場合、無期懲役の刑に類似するレベルの非難を加えるべきだろうか)。

 

 前段落で使用した「ある種の利己的な動機」についても、面白い指摘がなされている。

(1)夜中に眠くなり、試験範囲を全て復習することなく寝た。

(2)夜中に眠くなったが、試験範囲を全て復習してから寝た。

 この二つの事例では、ふつう(2)のほうが高く評価されるだろう。(1)は自分の寝たいという気持ちに従って寝たのであり、(2)のほうは試験で高い点数をとりたいという気持ちから復習を終えたのだから、どちらも自分のやりたいことをしているとは言える。しかし、寝たいという欲求は単純な私的・生理的欲求にすぎないのに対し、試験で高い点をとりたいという欲求は高い点をとるべきだという規範的な判断に基づいている。そして、一般的に我々は、そうした規範性にもとづく判断に対して高い道徳的価値を認めている(セウォル号の例で言えば、「自分が助かりたい」という欲求と「乗客を助けたい」「助けるべきだ」という欲求・判断がこれに当たるだろう)。(なぜそのような判断がなされているかについては何も書かれていないが、私見では行為者以外の者の利益につながる行為に高い規範性を与えることが、社会全体の効用増進につながるからではないかと素朴ながら考えている)。

 

 まとめると

①利他的な行為は純粋に利他的な動機から行われている可能性もある

②仮に利他的な行為がある種の利己的な動機から行われていたとしても、その行為が他者に利益をもたらさない行為より道徳的に価値があることは変わらない。

③我々は単なる私的・生理的欲求に従うことよりも、「~~べきだ」という規範性に基づいた欲求に従うことに高い道徳的価値を見出している。

 

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児玉聡『実践・倫理学』では、ほかにも「死刑」「自殺と安楽死」「喫煙」「ベジタリアニズム」「善いことをする義務」「津波てんでんこ(災害時の倫理)」「道徳と法」について扱っている。私としては、図書館で借りてでもいいので全日本語話者が読むべき本だと思う。ほとんどの人はマスメディア・ソーシャルメディア問わず、メディア上でさまざまな規範的判断を目にしているだろう(べジタリアニズムの議論は最近特に活発化しているような気がする)。そうしたときに、よい論証と悪い論証を見分ける仕方がとてもよくわかるようになる。

*1:以下の文章は、自分で思い出したり説得に使ったりするときに便利なよう、自分の見解を加えつつ手軽に編集したもので、当該章の論旨を忠実に追ったものではない。

「憂国」という演技

 先日、ある読書会で三島由紀夫の短編『憂国』を扱った回を担当した。そこで三島について少々調べたので、そこで考えたことを書いていく。

 

 『憂国』のあらすじは、その冒頭部分を読めばおおよそ把握できる。

昭和十一年二月二十八日(すなわち二・二六事件突発第三日目)、近衛歩兵第一聯隊勤務武山信二中尉は、事件発生以来親友が反乱軍に加入せることに対し懊悩を重ね、皇軍相撃の事態必至となりたる情勢に痛憤して、四谷区青葉町六の自宅八畳の間に於て、軍刀を以て割腹自殺を遂げ、麗子夫人も亦夫君に殉じて自刃を遂げたり。中尉の遺書は只一句のみ「皇軍の万歳を祈る」とあり、夫人の遺書は両親に先立つ不孝を詫び、「軍人の妻として来るべき日が参りました」云々と記せり。烈夫烈婦の最期、洵に鬼神をして哭かしむの概あり。因に中尉は享年三十歳、夫人は二十三歳、華燭の典を挙げしより半歳に充たざりき。*1

   発表当初、この作品は「思考停止のニヒリスト的世界に於ける「美」あるいは「魅惑」」(山本健吉)、「完全な無思想の美しさ」(江藤淳)などといったように、専ら美的なものと受け取られ、ここから右翼的な思想を抽出することは作品世界を破壊するものであると考えられた*2。しかし三島はこの後、二・二六事件の蜂起兵や特攻隊員の霊が人間天皇を批判するという内容の『英霊の聲』を発表したり、自ら民兵組織(後の「盾の会」)を組織したりするなど次第に反時代的傾向を鮮明にし、現在の我々がよくイメージする右翼思想家としての三島由紀夫に近づいていく。そして昭和四十五年(1970年)十一月二十五日、市ヶ谷の自衛隊駐屯地で自決する。

 

 『憂国』をさっと読んでまず感じたことは、「憂国」とは結局何だったのかという疑問である。『憂国』は、確かに「自分が身を滅ぼしてまで諫めようとするその巨大な国は、果してこの死に一顧を与えてくれるかどうかわからない。」というような文もあることはあるが、大部分が武山中尉と麗子夫人の死に支度と最後の交わり、そして自害の描写である。中尉が親友らから蜂起に誘われなかった理由は、新婚であることを配慮してであるから、明示されてはいないが中尉の思想的立場は彼らに近いものと考えられる。そうだとすると、三日目からでも叛乱に加わって少しでもその成功可能性を引き上げるべきではなかったか。あるいは彼らに勝ち目なしと思えば、一時彼らを討つことになっても軍に留まり、彼らの思想の実現しうる時を待つべきではないか。同じことは三島自身の自決についても言える。駐屯地のバルコニーから音声不明瞭な演説をしても、それで自衛隊が蜂起する可能性など皆無に近い。それよりは戦後の民主政治の中で自主防衛を訴え続ける方が、国にとって実りあるものだったのではないだろうか。

 

 この答えは三島が心酔していた『葉隠』の中に見出せる。『葉隠』は佐賀藩の武士であった山本常朝(1659~1719)の口述をまとめた書物で、戦時中には戦意高揚にも利用された。

武士道といふは、死ぬ事と見付けたり。二つ二つの場にて、早く死ぬはうに片付くばかりなり。別に仔細なし。胸すわつて進むなり。図に当たらぬは犬死などといふ事は、上方風の打ち上りたる武道なるべし。二つ二つの場にて、図に当ることのわかることは、及ばざることなり。我人、生くる方がすきなり。多分すきの方に理が付くべし。若し図にはづれて生きたらば、腰抜けなり。この境危ふきなり。図にはづれて死にたらば、犬死気違なり。恥にはならず。これが武道に丈夫なり。毎朝毎夕、改めては死に改めては死に、常住死身になりて居る時は、武道に自由を得、一生越度なく、家職を仕果すべきなり。

(訳)武士道の本質は、死ぬことだと知った。つまり生死二つのうち、いずれを取るかといえば、早く死ぬほうをえらぶということにすぎない。これといってめんどうなことはないのだ。腹を据えて、よけいなことは考えず、邁進するだけである。”事を貫徹しないうちに死ねば犬死だ”などというのは、せいぜい上方ふうの思い上がった打算的武士道といえる。

とにかく、二者択一を迫られたとき、ぜったいに正しいほうをえらぶということは、たいへんにむずかしい。人はだれでも、死ぬよりは生きるほうがよいに決まっている。となれば、多かれすくなかれ、生きるほうに理屈が多くつくことになるのは当然のことだ。生きるほうをえらんだとして、それがもし失敗に終わってなお生きているとすれば、腰抜けとそしられるだけだろう。このへんがむずかしいところだ。

 ところが、死をえらんでさえいれば、事を仕損じて死んだとしても、それは犬死、気ちがいだとそしられようとも、恥にはならない。これが、つまりは武士道の本質なのだ。とにかく、武士道をきわめるためには、朝夕くりかえし死を覚悟することが必要なのである。つねに死を覚悟しているときは、武士道が自分のものとなり、一生誤りなくご奉公し尽くすことができようというものだ。*3

  『葉隠』的に、あるいは三島的に言えば、私の疑問は「上方風の打ち上りたる武士道」ということになるのだろう。確かに『憂国』の武山中尉が置かれたような火急の場合に正しい選択肢を見極めることは困難である。また、その場での思考が「生き延びたい」という私利に引きずられてしまう危険があるという指摘ももっともだろう。とはいえ、『葉隠』上記引用部分も「恥にはならず」という私的利益を判断基準にして、公的視点から見てどちらが適切かという判断から逃げているという反駁もできる。

 

 ここで、三島の『葉隠』解釈を引用する。

戦時中、政治的に利用された点から、「葉隠」を政治的に解釈する人がまだいるけれども、「葉隠」には政治的なものはいっさいない。武士道そのものを政治的な理念と考えれば別であるが、一定の条件下に置かれた人間の行動の精髄の根拠をどこに求めるべきかということに、「葉隠」はすべてをかけているのである。*4

 一般に「政治的」とは、国家などの人間集団において、一定数以上の人間の行動を操ろうとする様を指す。したがって「政治的でない」とは、国家や藩といった統治組織において他人をどう操るかではなく、専ら個人としてどう生きるべきかという視点から書かれたものだと解釈できる。こうして見ていくと、山本常朝にとっても「常住死身になり」て「家職を仕果す」という演技が彼自身のために必要だったのであり、武山中尉や三島にとっても「国を憂い」て死ぬという演技が彼ら自身のために必要だったのだろう。『憂国』以後の三島の遍歴から、同作の右翼的思想性は次第に現実味をもって捉えられていくようになるが、本質的には初期の山本や江藤のコメントが結局正当だったのではないか。*5

 

 二・二六事件の叛乱将兵たちは天皇に対して恋闕の情とも呼ぶべき熱烈な忠誠を抱いていたとされるが、実際の天皇は彼らの蜂起に激怒し断固鎮圧を命じた。戦後に三島ら右翼の対称的存在であった新左翼内ゲバのうちに自壊していった。オウム真理教の幹部はほとんどが死刑に処された。まとめて言えば、天皇、革命、救済といった「大いなるもの」を社会全体の支配原理としようとする運動は、テロ行為とみなされ粉砕されていったと言える。結局のところ、日本に存在するのは多元的な思想信条を持つ人々の集合体としての社会と、それを管理する冷徹非情な統治機構でしかなかった。

 そして、繰り返される「大いなる幻想」の敗北により、もはや三島のように演技としてそのような幻想を奉ずることも現在ではもはや不可能といえるだろう。三島は自衛隊駐屯地での演説を「おまえら、聞け。静かにせい。静かにせい。話を聞け。男一匹が命をかけて諸君に訴えているんだぞ」という言葉ではじめたという。現在この言葉は、奇矯きわまる陳述をする際の枕詞と化している。

*1:三島由紀夫『英霊の聲』、河出文庫、2005年。本書の収録作は小説『英霊の聲』、『憂国』、戯曲『十日の菊』、随筆『二・二六事件と私』の四編

*2:池田純溢「『憂国』『英霊の声』に於ける思想性――天皇ナショナリズムの萌芽」、長谷川泉・森安理文・新藤祐・小川和佑編『三島由紀夫研究』右文書院、2020年。本書は復刊で、元の序文は昭和四十五年六月となっている。

*3:三島由紀夫葉隠入門』、新潮文庫、1983年。ここでの引用元は笠原伸夫訳の付録部分

*4:同上

*5:当たれていない文献も山ほどあるので、与太話レベルの発言として捉えていただきたい

佐藤智晶先生の思い出

 昨年受講していた講義の一つに「技術利用と法」があった。

 ガイダンスの出席者は4人しかおらず、その後も最大で7人程度の受講者数で、理系の院生と公共政策の院生がそれぞれ3,4人ずつだった。授業はその場でのリサーチとディスカッションを中心として進められた。担当は佐藤智晶先生という、英米法や医療制度を専門とする40歳ほどの教員だった。

 ガイダンスでは「空飛ぶ車は日本を走れるか」という例題が出された。われわれ学生は最初のうち戸惑っていたが、先生からのヒントをもらいつつ「空を飛ぶというのは地面から少し浮いている程度かそれとも上空10m以上を飛行するのか」などの定義を詰めたり、道路や空間利用を規制する法律を見つけ出して関係する条文を探したりしていった。

 そのワークが終わった後、先生から「あなたが官僚で、どこかから「このような製品を考えているが大丈夫か」という問い合わせを受けたらどうするか」という質問があった。先輩は「おそらく止めると思う」、私は「やらせてみる」と答えたが、先生は一つ欠点を見つけて突き返すのが最も合理的だと言われた。もしやらせてみて不祥事につながった場合キャリアが終わってしまう一方で、一つ瑕疵を見つけてしまえばそれ以上は殺人的な業務量の合間を縫って検討する必要がないからである。これを新技術を利用しようとする企業などの立場から見れば、規制側の論理も踏まえつつ法律的な問題点を潰していく作業をほぼ自前で行う必要があるということである。さもなくば後で何らかの処分を覚悟しなければならない。

 その後の授業では、「LINEは資金決済法上の供託金納付義務を負うか」、「加熱式タバコは消防法上の喫煙に当たるか」といった問題を考えたり、AppleWatchの販売側と医療機器規制当局、航空機メーカーと運航会社といったチームに分かれて模擬交渉を行ったりした。いずれにおいても重要だったことが二つある。一つ目は関連する法規を迅速かつ的確に見つけ出すこと、二つ目は特定の立場に身を置いたうえで、とりうる論理と帰結を導いていくことだ。学生、特に私のような法学徒は、裁判官的に中立的な法解釈を探しがちだ。しかし、実務の場では多くの者が特定の立場性を有しており、そこにおいて法は中立的な規範というよりも時に武器となり時に越えるべきハードルとなるものである。先生曰く大人にとっては当然のことであるが、学生としてこのような学びを得られる講義は貴重だった。私を含む受講学生の探索や論理構築のスピードは回を追うごとに飛躍的に上昇していった。

 

 ある日の授業後に、一人の学生が医師にも労働法を完全に適用するべきだと投げかけた。先生は、政府の審議会において東大法学部長が同様の提起をしたが、結局退けられた事実を指摘した。「何かやり方があるのではないか」というその学生に対し、先生は「今までたくさんの人が真剣に考えて来て、それでも変わっていないのが現状だ。何かやり方があるならそれで論文を書いてくれ」と言い放った。結局議論は平行線をたどった。「俺だってなんとかしたい、医者に過労死してほしくない」と言った先生の悲痛な表情が忘れられない。この日、ほとんどの学生がこの議論を途切れるまで聴いていた。医師の労働時間が異常であるという明らかな現実に対しても、視点を変えればそれなしに現在の医療水準すなわち救命数は維持できないという別の現実がある。夜の教室で、誰もが利害対立の極限の厳しさを思って黙り込んでいた。

 

 当時、政府が敗訴したハンセン病家族訴訟の一審判決が問題となっていた。先生はおそらく控訴だと言っていた。これは結論としては外れることになるのだが、補償を受けられる家族の範囲画定や他の疾病の扱いが困難になるという問題の指摘は、行政側から見た議論として納得できた。先日、「黒い雨訴訟」の一審において原告全面勝訴というニュースがあった。初めは素朴に喜ばしさを感じたものの、読み進めるうちに先生の授業で交わされた議論が頭をよぎり、これは控訴であろうと直感した。原爆投下の日や、広島県広島市の不控訴要請、あるいは国会議員の発言などから政治判断が取り沙汰され続けたが、結果は果たして控訴であった。

 

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佐藤先生には上記「技術利用と法」のほか、「Law and Public Policy」、「医療イノベーション政策」、「コーポレートガバナンス」と都合4講義にわたってお世話になった。

先生は7月下旬に急逝されていたとのことである。(8月13日に公共政策大学院から発表があった)。私は死者の魂の安寧なることを疑わないが、先生の講義がもはやいついかなる場所においても行われない事実が悲しい。そこで、先生の思い出のうち、特に重要と思うものを備忘も兼ねて記録した次第である。