佐藤智晶先生の思い出

 昨年受講していた講義の一つに「技術利用と法」があった。

 ガイダンスの出席者は4人しかおらず、その後も最大で7人程度の受講者数で、理系の院生と公共政策の院生がそれぞれ3,4人ずつだった。授業はその場でのリサーチとディスカッションを中心として進められた。担当は佐藤智晶先生という、英米法や医療制度を専門とする40歳ほどの教員だった。

 ガイダンスでは「空飛ぶ車は日本を走れるか」という例題が出された。われわれ学生は最初のうち戸惑っていたが、先生からのヒントをもらいつつ「空を飛ぶというのは地面から少し浮いている程度かそれとも上空10m以上を飛行するのか」などの定義を詰めたり、道路や空間利用を規制する法律を見つけ出して関係する条文を探したりしていった。

 そのワークが終わった後、先生から「あなたが官僚で、どこかから「このような製品を考えているが大丈夫か」という問い合わせを受けたらどうするか」という質問があった。先輩は「おそらく止めると思う」、私は「やらせてみる」と答えたが、先生は一つ欠点を見つけて突き返すのが最も合理的だと言われた。もしやらせてみて不祥事につながった場合キャリアが終わってしまう一方で、一つ瑕疵を見つけてしまえばそれ以上は殺人的な業務量の合間を縫って検討する必要がないからである。これを新技術を利用しようとする企業などの立場から見れば、規制側の論理も踏まえつつ法律的な問題点を潰していく作業をほぼ自前で行う必要があるということである。さもなくば後で何らかの処分を覚悟しなければならない。

 その後の授業では、「LINEは資金決済法上の供託金納付義務を負うか」、「加熱式タバコは消防法上の喫煙に当たるか」といった問題を考えたり、AppleWatchの販売側と医療機器規制当局、航空機メーカーと運航会社といったチームに分かれて模擬交渉を行ったりした。いずれにおいても重要だったことが二つある。一つ目は関連する法規を迅速かつ的確に見つけ出すこと、二つ目は特定の立場に身を置いたうえで、とりうる論理と帰結を導いていくことだ。学生、特に私のような法学徒は、裁判官的に中立的な法解釈を探しがちだ。しかし、実務の場では多くの者が特定の立場性を有しており、そこにおいて法は中立的な規範というよりも時に武器となり時に越えるべきハードルとなるものである。先生曰く大人にとっては当然のことであるが、学生としてこのような学びを得られる講義は貴重だった。私を含む受講学生の探索や論理構築のスピードは回を追うごとに飛躍的に上昇していった。

 

 ある日の授業後に、一人の学生が医師にも労働法を完全に適用するべきだと投げかけた。先生は、政府の審議会において東大法学部長が同様の提起をしたが、結局退けられた事実を指摘した。「何かやり方があるのではないか」というその学生に対し、先生は「今までたくさんの人が真剣に考えて来て、それでも変わっていないのが現状だ。何かやり方があるならそれで論文を書いてくれ」と言い放った。結局議論は平行線をたどった。「俺だってなんとかしたい、医者に過労死してほしくない」と言った先生の悲痛な表情が忘れられない。この日、ほとんどの学生がこの議論を途切れるまで聴いていた。医師の労働時間が異常であるという明らかな現実に対しても、視点を変えればそれなしに現在の医療水準すなわち救命数は維持できないという別の現実がある。夜の教室で、誰もが利害対立の極限の厳しさを思って黙り込んでいた。

 

 当時、政府が敗訴したハンセン病家族訴訟の一審判決が問題となっていた。先生はおそらく控訴だと言っていた。これは結論としては外れることになるのだが、補償を受けられる家族の範囲画定や他の疾病の扱いが困難になるという問題の指摘は、行政側から見た議論として納得できた。先日、「黒い雨訴訟」の一審において原告全面勝訴というニュースがあった。初めは素朴に喜ばしさを感じたものの、読み進めるうちに先生の授業で交わされた議論が頭をよぎり、これは控訴であろうと直感した。原爆投下の日や、広島県広島市の不控訴要請、あるいは国会議員の発言などから政治判断が取り沙汰され続けたが、結果は果たして控訴であった。

 

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佐藤先生には上記「技術利用と法」のほか、「Law and Public Policy」、「医療イノベーション政策」、「コーポレートガバナンス」と都合4講義にわたってお世話になった。

先生は7月下旬に急逝されていたとのことである。(8月13日に公共政策大学院から発表があった)。私は死者の魂の安寧なることを疑わないが、先生の講義がもはやいついかなる場所においても行われない事実が悲しい。そこで、先生の思い出のうち、特に重要と思うものを備忘も兼ねて記録した次第である。