死の夢から覚める

夢日記

 

私は暗く大きな、満員の客が入ったホールの客席に座っている。正面のステージはライトアップされていて、そこにはゲームをプレイできる筐体が3台設置されている。

壇上にいる3人のプレイヤーがゲームをクリアし、会場に歓声が上がる。右端にいたプレイヤーが壇を降りて客席に戻る。中央にいた金髪の少女と、左側にいたスキンヘッドの男は壇上にとどまり、次のラウンドもプレイし続ける意思を示す。

司会者が告げる。客席にプレイを望む者がいれば、その者は空いた右側の席に着くことができる。そうするかどうかは完全に任意であり、希望者がいなければ2人のみで次のラウンドが始まる。司会者は私の知らない言語を話しているが、私はなぜかその意味を完全かつスムーズに理解することができる。

私は客席を立ち、吸い込まれるように空いている筐体の前に立つ。司会者が私に意思を確認し、私は肯定の返事をする。ゲームの準備が始まる。このゲームは失敗した場合、死亡することが課せられており、そのことは私も含め会場にいる全ての者が十分に知っている。

 

気が付いたときにはゲームは終了しており、隣の少女と男はクリアしているが、私は失敗している。司会者がやはり謎の言語で告げる。あなたは完全に任意にこのゲームに取り組み、そして失敗した。したがってあなたは死ななければならない。我々は十分に説明しており、あなたは十分にそれを理解していた。あなたが死ななければならないことは残念である。

観客たちは沈黙していた。私は、死を宣告されたことを理解した。心臓の鼓動ばかりがどんどん速く激しくなっていくのを感じながらそこに佇んでいた。

 

そこで目が覚めた。未だに激しい鼓動の感触がありありと残っていたが、実際の私の心臓はきわめて正常なペースで動いていた。

起床したそこは、私が数日前に面接に落ちたために、ある進路を決定的に断たれた世界だった。ALS患者に対する嘱託殺人事件が発生し、たくさんの人が生と死をきわめて激しく問い論じている世界だった。

 

夢の中の私の思考は、助命を乞うことも、走って逃亡することも、一瞬思いさえしなかった。ただ、死ぬのか、とだけ思い、速くなっていく鼓動の音をどこか静かな場所で聴いていた。

吸ひこまれない

本当は解題が必要なタイトルなんてそもそもつけてはいけないのだけれど。

 

このブログの「吸ひ込まれない」という題は次の短歌に由来する。

 

 

沈黙の山へ続ける白き道ある私度僧の吸ひ込まれけり

 

 

私が高校生のときに出場した短歌の大会で作った歌だ。本来は大会のルール上三行書きなのだが、ここでは特に行を分ける必要がないので一行に戻している。「私度僧」とは、奈良時代あたりの、僧侶を名乗るのに政府の許可が必要だった時代に、その許可を得ずに得度(出家)していた者のことをいう。

「山」という題を与えられて20分でこの短歌を錬成した。当時の即詠力(今よりずっとまし)を差し引いて考えても、吸い込まれていく私度僧というイメージが心の中にしっかり根付いていなければできない芸当だと思う。当時の私は、別に仏教徒というわけではなかった。キリスト教イスラム教にも親和的な感情を持っていて、歴史などでそれらが登場する範囲は熱心に勉強していた。教師やクラスメイトが宗教を嘲るようなことを言ったときにはだいたい噛みついていた。人が何事かを強く信じるということ自体に崇高な価値を感じていた。要するに、恋に恋するティーンエイジャーがいるように、私は信仰を信仰していた。

 

現在の私は、信仰に対する信仰よりも、仏教に近い立場に移っている。それは大学受験をしていたころにISが暴虐の限りを尽くしていたからかもしれないし、大学に入って多忙で辛かったときに仏典の章句がふと差し込んできたからかもしれない。とりあえず今は、そのあたりの具体的な要因を丹念に思いだすことはできない。

あくまで私の解釈だが、キリスト教が救いを冀う希望の宗教であるのに対し、仏教は無常を悟る安寧の、あるいは虚無の宗教である。すべては因果により生じ、現れては消えていく。本質的なものや永遠に残るものはなく、「すべては消えゆく」という真理だけが永遠である。生は苦であり、苦は欲から生まれる。したがって欲を滅するべきであり、そのためには事物のはかない本性を見据えて執着を断つほかにない。

こうした教義を心に刻むことで、そうでない場合よりもはるかに心の平穏が保てるのは確かだ。一方で私のSNS上での自称は「似非仏教徒」であり、このブログのタイトルは「吸ひ込まれない」である。究極的な話をすれば、じっとしていれば飢え渇くことは避けられず、動けばその分疲れることも避けえない。それより低い次元でも、良い音楽は良いし、就職もできればしたいし、人種差別は廃されるべきだと思う。それらが虚無の中に物の分別を見出し、満たされないという苦しみにつながる心の妄執だとしても。

「吸ひ込まれ」るまでの道ははるかに遠い。

 

 

 

2020年4月ブログ良記事4選

いい加減何か書かなければブログがインターネットの流木になってしまう。その折に、ちょうど自粛生活で、購読しているブログたちの更新頻度が高めになっている。そこで先月に更新された記事の中から好きなものを紹介していこうと思う。

 

①「段ボールを解体するのが遅いと人権がない世界へ」

ninaxzy.hatenablog.com

 

タイトルと最初の一文ですでに良い記事なのが分かると思う。

内容はタイトル通り、大学生が段ボールの解体などのバイトをする話。

まず、文章のテンポが素晴らしいのでさくさく読める。その中で一つ一つの人物や光景や事象が明瞭に表現されていて、日の当たらない労働現場の息づかいややるせなさがすっと入ってくる。そして何より特筆すべきポイントは、筆者が結局は大学生という別世界の人間に過ぎず、だからこそ二つの世界のコントラストや相剋が文章に鮮やかに表れている点。

このブログは素っ気ない表題に反して、すべての記事で「やってみ」ている内容がハードで筆致がひねくれていて個人的におすすめ度が高い。

 

 

②「利他的って」

mbcms21.hatenablog.com

 

個人的な共感と問題関心へのヒットで選出。

筆者は就活をしている学生。ここで書かれている、一見利他的な行動だが、実際には自己評価ができていないために他者の評価を求める利己的なものであるという構造が非常に共感できた。私も一応院生のくせに相当なコストをボランティアの活動に投じていて、傍からは利他的な者とみなされているらしい(「聖人君子」と皮肉を言われたことさえある)が、結局自分にとって必要な行動だからそこまでしているのである。人がメリットと感じるものは金銭や物資のように分かりやすいものばかりでなく、居場所や承認、それこそ思想の実現のようなことまで含まれる。そうするとあらゆる行動は利己的なものとして捉えられるかもしれない。

一方で、記事中でも触れられているように、就職活動等において「一見した利他性」が求められることもまた事実。利己性一元説で片づけてしまうと、ここで求められているのはいったい何なんだという話になってくる。

 

③「好きな絵文字を紹介する」

kageboushi99m2.hatenablog.com

 

前半は筆者と絵文字との付き合いについて普通に理解できる文章が続いていくが、中盤の「自分の絵文字がある」という概念が出てきたあたりから少しずつ不思議な領域に足を踏み入れていく(私がネット文化に疎いだけだったらごめんなさい)。人に対して絵文字を当てはめるという行為から、絵文字単体では持ちえないシナジーが発生し、さらに筆者の妙に冷静な観察眼や卑屈さもあいまって「しおれた花のイメージにぴったりと合っている友人」とか「重大な自己欺瞞」とか謎のコメントが飛び出して面白くなってくる。

この記事を選んだ決め手は最後のオチなのだが、ネタバレすると興を削ぐので自分で読んでいただきたい。

 

④「むなしいチーズケーキの作り方」

not-miso-inside.netlify.app

 

定期試験の問題しかりランキングものの発表しかり、えてして威力の大きいものほど最後に置かれるものだ。つまり、この紹介記事におけるラスボスがこれである。

記事はおおむね前半部「ベイクドチーズケーキの作り方」と、後半部「むなしさの鑑賞」からなる。前半部では、ところどころおかしな材料や工程が挟まれるものの、基本的にはチーズケーキの作り方が紹介されており、最後を除いてそこまで違和感を感じる部分はない。

本題は後半部にある。ここでは卓越した修辞と論理的懐疑および脳神経学的理論が総動員され、チーズケーキという事象、あえていえばきわめて些末な事象に対する考察が行われる。我々は考察に用いられたそれらの理論について真偽を容易に判断することができない。また、チーズケーキに対する考察の結果、論はきわめて一般的抽象的かつ重大なテーゼに到達するが、土台となるチーズケーキ考察が虚実明らかでない以上、そのテーゼも畏れるべき真理であるかはたまた壮大な冗談であるかは不明となる。こうしれ我々は混沌の中に取り残される。

 

このブログには通常遭遇し得ない種類の文章がたくさんあるので強く勧めます。ただし、露悪的な記事も多いので人を選びます。

 

 

 

2019年上半期 怪書4選

今年の1月~6月に読んで度肝を抜かれた、もしくは呆然とした本4冊です。どれもすごいので読んでください。

 

①『一遍上人語録』(大橋俊雄校註、岩波文庫)

 高校で日本しか倫理を多少真面目に勉強していた人は「踊り念仏」で記憶していると思う一遍上人。奇抜な印象があると思われるが、実際期待に違わずものすごい。

 個人的な解釈だが、仏教はそもそも「人の心は煩悩に覆われ、迷妄や苦しみを生み出す」という認識から出発している。そこで釈迦は心を修めて悟りを開くことを目指したのだが、後世になると当然のように「いや、凡人が心を修めるの、無理では?」となってきて、超越的な仏に救いを求める浄土系が出てくる。それでも親鸞あたりはまだ「救いを求めることで救われる」という構造なのだが、一遍はその救いを求める心さえ否定する。つまり、人間は所詮愚かなので、その愚かな思考で祈ったり救いを求めたりしても意味がなく、単に「南無阿弥陀仏」の六文字のみが人を救うと考えた。

南無阿弥陀仏往生決定六十万人」

「花を愛し月を詠ずる、ややもすれば輪廻の業。仏を思ひ経を思ふ、ともすれば地獄の焔」

「名号(※南無阿弥陀仏のこと)に会ひたらむには明日までも生きて要事なし。すなはち死なむことこそ本意なれ」

 

②『「経済人」の終わり』(ドラッカー、上田惇生訳、ダイヤモンド社)

 ドラッカーがこんな書名の本を書いている時点でぎょっとするが、実はデビュー作。

 ドラッカーの分析によれば、近代社会において人間は、経済活動に勤しむことで自由で平等な社会に近づけると信じていた。それはブルジョワ資本主義とマルクス共産主義に共通していた。ところが前者が大戦争と大量失業の悪魔を呼び出すだけに終わり、後者が新たな階級を打ち立てるにすぎないことが露見したことで、「経済人」の幻想は破れ、ヨーロッパ大陸は否定を本質とするファシズムに覆われた。

 歴史を極マクロ的に捉える視点と無限の洞察力からパンチラインの雨嵐で、ファシズム全体主義への理解が大幅に改まる。特に好きなのは革命が当時の共産主義の教義と違ってドイツではなくロシアで起きた理由の解説と、独ソ提携を読み切っていたくだり(執筆時は1933~1939あたりのリアルタイム)。

「本書は政治の書である。したがって、学者の第三者的態度をとるつもりも、メディアの公平性を主張するつもりもない。」

ファシズム全体主義がヨーロッパの基本原則を脅かす存在であることを知るがゆえに、私は、ファシズム全体主義についての通常の説明を受け入れるわけにはいかない。それらのものは、表面的な現象の説明と解釈に満足している。……あらゆる種類の旧体制が自らの死を隠蔽するために陥った自己欺瞞を連想させる希望的観測にしがみついている」

「政治の世界と社会に偶然や奇跡は存在しない。政治と社会の動きには何らかの原因が存在する。社会の基盤を脅かす革命もまた……人間の本性、社会の特性、および一人ひとりの人間の社会における位置と役割についての認識の変化に起因しているはずである」(すべてまえがきから)

(この「人間の社会における位置と役割」の探求がドラッカー経営学研究の根本にあった、と田中弥生先生から聞いた)

 

③『法解釈の言語哲学――クリプキから根源的規約主義へ――』(大屋雄裕勁草書房)

 誰かと一緒に計算をするとする。

 13+34=47

 27+44=71

特に問題なさそうだ

 11+45=5

??? 

普通の人は11+45=56だと思ったはずだ。ところが、相手が「+というのは左右の数字が44以下のときは加算をし、それ以外のときは5という答えを与える「クワス」という記号のはず……」と言い出してくる。

あるいは、ある亀に対してこういう論理を納得させたい

(a)亀は足が遅く、かつ頭の回転も遅い

(z)ゆえに、亀は足が遅い

ここで亀はこう言い出す。「(a)を認めたら(z)も認めないといけないのかなあ……」

これらの例で何が言いたいかといえば、我々の論理規則(たとえば+が「クワス」ではなくプラスであること、(a)から(z)が導かれること)は必然的ではないこと、そして我々は異なる論理規則を持つもの(亀みたいなやつ)を暴力的に排除することで社会を成り立たせているということだ。(自分で書いておいてだがあまり理解でききない。哲学をするなと叫びたくなってくる)

 

④『ソラリス』(レム、沼野允義訳、早川書房)

 ソラリスという一つの生命体である星がある。主人公の研究者がそこに降り立つが、理解不能ソラリスと、ソラリスが送り込んでくる「お客さん」に翻弄されてグロッキーになっていく話。

 論文や書籍を無限にうずたかく積み上げ続けるソラリス学、意味不明な挙動を無限に示し続けるソラリス、たぶん「理解」の可能性がテーマになっている。

やばすぎてこれくらいしか書くことがない。

 

煩悩108コンテンツリスト

1.概念 2.麻雀 3.無機物 4.紅茶花伝 5.伊藤計劃虐殺器官』でのクラヴィスとルツィアとの会話 6.覚和歌子 7.好きな知人のブログ 8.くだらない冗談ばかり考えている人 9.全知全能 10.短髪 11.ベビースターラーメン 12.黒蜜 13.ルンペンプロレタリアートという概念 14.鉄鎖のほかに失うべきものを持たない者 15.モノクロ写真 16.他人の眼鏡姿 17.自分が眼鏡をかけないこと 18.自転車 19.体育の持久走 20.無 21.睡眠 22.眠る人 23.鬼束ちひろ「月光」 24.パンチライン 25.コペンハーゲン解釈 26.一人雪降る中に立つ 27.橋 28.酪王カフェオレ 29.理性 30.囲いパズル(スマホゲーム) 31.暇な時間 32.進歩史観 33.anone(テレビドラマ) 34.昔訪れた場所についての記憶が変化することで、再訪不能パラレルワールドが記憶の中にできること 35.JR身延線 36.普通列車 37.ラプラスの悪魔 38.左 39.静寂 40鴎(合唱曲) 41.ジャベル(『レ・ミゼラブル』の登場人物) 42.他人に迷惑をかけない違法行為 43.未成年の先輩 44.除夜の鐘 45.松村栄子『ぼくはかぐや姫』 46.狂信 47.ウィキペディア 48.レトロニム 49.中島みゆき 50.ハードオフで千円で買ったCDコンポ 51.今はなくなった実家近くの書店 52.抽象的な存在 53.知識 54.林真理子『葡萄が目にしみる』 55.ままどおる 56.湖 57.建物買取請求権 58.大きな川のある街 59.小雨の中で傘をささずに歩く 60.陰謀 61.都道府県ナショナリズム 62.石川啄木「我を愛する歌」 63.「私」という一人称 64.一人称が「僕」の人 65.私度僧 66.24時間営業でない小売店 67.見切り品 68.マニ車 69.六法全書で殴る 70.「暴力のかく美しき世に住みてひねもす歌ふわが子守唄」斎藤史 71.地下書庫 72.丸山眞男 73.紙の辞書 74.バリケード 75.藤原伊織『テロリストのパラソル』 76.ずっと真夜中でいいのに 77.鉛筆 78.ほめられること 79.短歌 80.思想戦 81.法律を勉強しすぎた人が、自販機で缶コーヒー一本を買うのも法律行為にしか見えなくなる話 82.ぴょんぴょん舎 83.ツイッター 84.結城無二三(歴史上の人物) 85.カロリーを値段で割ること 86.夏 87.夏を好む人々 88.扇風機 89.清水あやめ(『冷たい校舎の時は止まる』の登場人物) 90.筆記試験 91.黒い服 92.珍しい分野のオタク 93.『老子』 94.赤軍兵士ストラップ 95.雪原 96.さユり「birthday song」 97.経験機械 98.フライヤー 99.やみ・あがりシアター(劇団) 100.山崎豊子白い巨塔』で柳原医師が「嘘です!」と絶叫するシーン 101.ヨルシカ 102.Googleでない検索エンジン 103.メールを削除すること 104.アングリマーラ(ブッダの弟子、元盗賊) 105.冬の風 106.岩波文庫 107.中島敦山月記」 108.中島敦「李陵」