2019年上半期 怪書4選

今年の1月~6月に読んで度肝を抜かれた、もしくは呆然とした本4冊です。どれもすごいので読んでください。

 

①『一遍上人語録』(大橋俊雄校註、岩波文庫)

 高校で日本しか倫理を多少真面目に勉強していた人は「踊り念仏」で記憶していると思う一遍上人。奇抜な印象があると思われるが、実際期待に違わずものすごい。

 個人的な解釈だが、仏教はそもそも「人の心は煩悩に覆われ、迷妄や苦しみを生み出す」という認識から出発している。そこで釈迦は心を修めて悟りを開くことを目指したのだが、後世になると当然のように「いや、凡人が心を修めるの、無理では?」となってきて、超越的な仏に救いを求める浄土系が出てくる。それでも親鸞あたりはまだ「救いを求めることで救われる」という構造なのだが、一遍はその救いを求める心さえ否定する。つまり、人間は所詮愚かなので、その愚かな思考で祈ったり救いを求めたりしても意味がなく、単に「南無阿弥陀仏」の六文字のみが人を救うと考えた。

南無阿弥陀仏往生決定六十万人」

「花を愛し月を詠ずる、ややもすれば輪廻の業。仏を思ひ経を思ふ、ともすれば地獄の焔」

「名号(※南無阿弥陀仏のこと)に会ひたらむには明日までも生きて要事なし。すなはち死なむことこそ本意なれ」

 

②『「経済人」の終わり』(ドラッカー、上田惇生訳、ダイヤモンド社)

 ドラッカーがこんな書名の本を書いている時点でぎょっとするが、実はデビュー作。

 ドラッカーの分析によれば、近代社会において人間は、経済活動に勤しむことで自由で平等な社会に近づけると信じていた。それはブルジョワ資本主義とマルクス共産主義に共通していた。ところが前者が大戦争と大量失業の悪魔を呼び出すだけに終わり、後者が新たな階級を打ち立てるにすぎないことが露見したことで、「経済人」の幻想は破れ、ヨーロッパ大陸は否定を本質とするファシズムに覆われた。

 歴史を極マクロ的に捉える視点と無限の洞察力からパンチラインの雨嵐で、ファシズム全体主義への理解が大幅に改まる。特に好きなのは革命が当時の共産主義の教義と違ってドイツではなくロシアで起きた理由の解説と、独ソ提携を読み切っていたくだり(執筆時は1933~1939あたりのリアルタイム)。

「本書は政治の書である。したがって、学者の第三者的態度をとるつもりも、メディアの公平性を主張するつもりもない。」

ファシズム全体主義がヨーロッパの基本原則を脅かす存在であることを知るがゆえに、私は、ファシズム全体主義についての通常の説明を受け入れるわけにはいかない。それらのものは、表面的な現象の説明と解釈に満足している。……あらゆる種類の旧体制が自らの死を隠蔽するために陥った自己欺瞞を連想させる希望的観測にしがみついている」

「政治の世界と社会に偶然や奇跡は存在しない。政治と社会の動きには何らかの原因が存在する。社会の基盤を脅かす革命もまた……人間の本性、社会の特性、および一人ひとりの人間の社会における位置と役割についての認識の変化に起因しているはずである」(すべてまえがきから)

(この「人間の社会における位置と役割」の探求がドラッカー経営学研究の根本にあった、と田中弥生先生から聞いた)

 

③『法解釈の言語哲学――クリプキから根源的規約主義へ――』(大屋雄裕勁草書房)

 誰かと一緒に計算をするとする。

 13+34=47

 27+44=71

特に問題なさそうだ

 11+45=5

??? 

普通の人は11+45=56だと思ったはずだ。ところが、相手が「+というのは左右の数字が44以下のときは加算をし、それ以外のときは5という答えを与える「クワス」という記号のはず……」と言い出してくる。

あるいは、ある亀に対してこういう論理を納得させたい

(a)亀は足が遅く、かつ頭の回転も遅い

(z)ゆえに、亀は足が遅い

ここで亀はこう言い出す。「(a)を認めたら(z)も認めないといけないのかなあ……」

これらの例で何が言いたいかといえば、我々の論理規則(たとえば+が「クワス」ではなくプラスであること、(a)から(z)が導かれること)は必然的ではないこと、そして我々は異なる論理規則を持つもの(亀みたいなやつ)を暴力的に排除することで社会を成り立たせているということだ。(自分で書いておいてだがあまり理解でききない。哲学をするなと叫びたくなってくる)

 

④『ソラリス』(レム、沼野允義訳、早川書房)

 ソラリスという一つの生命体である星がある。主人公の研究者がそこに降り立つが、理解不能ソラリスと、ソラリスが送り込んでくる「お客さん」に翻弄されてグロッキーになっていく話。

 論文や書籍を無限にうずたかく積み上げ続けるソラリス学、意味不明な挙動を無限に示し続けるソラリス、たぶん「理解」の可能性がテーマになっている。

やばすぎてこれくらいしか書くことがない。