「映像の世紀「夢と幻想の1964年」」(NHK)記憶メモ・雑感

 1964年の東京オリンピックも実はグダグダだったのではないかという意見をときどき耳にする。前回の東京五輪は一般的に良いイメージがあるが、それは回想によって生まれたものにすぎず、現在グダグダ感が溢れ出している今回の五輪も後になればよかったものとして語り継がれていくのではないかという見方である。

 今日の午前、NHKの「映像の世紀」で、1964年の特集をやっていた。ちょうど、前回のオリンピック当時の様子を知るいい機会だったので見てみた。以下、記憶に残っているシーンや発言をメモしていく。

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・当時の世論調査で、五輪が最大の関心であるという人は2パーセントほど。一方で、「ほかにやるべきことがある」という回答は6割近くあった。

・具体的には、1964年の夏は記録的な干ばつで水不足だった。東京は断水もあり、自衛隊給水車を出すような状態。高級ホテルのプールが開いていることに批判が集まるなど。大臣のかけ声で昼夜問わず荒川の工事を行ったほか、8月後半に台風が来てなんとか解決。

・都市開発はかなり進んだ。五輪以前、東京はそれまでの無秩序な開発により渋滞が常態化し、自動車の平均速度は20km/h、ラッシュ時には2km/hという状態だった。

野坂昭如「南青山の街は完全に失われた。以前はどの軒先にも風情や思い出があり見るたびにいたたまれなくなったが、私の失敗の痕跡は完全に消え去ってくれた」*1

開高健(建設労働者の労災について)「両耳聞こえず92万円。片腕ぶらぶら73万円。腎臓1つ46万円。人体の一部の値段は、インドなどよりは高いが、子宮から墓場まで保障するデンマークなどと比べればたいへん低い」

ライシャワー米大使刺傷事件が発生。輸血用血液に売血を用いたため大使が肝炎になり、売血が社会問題に。

・8月にはトンキン湾事件*2が発生

聖火リレーは過去最大規模(当時)で、アジア各地を通過。特にビルマの首都ラングーンなど、旧日本軍が戦闘した地域で敢えて開催。日本が平和国家に生まれ変わったメッセージとして。

・最終走者は坂井義則。1945年8月6日広島生まれ。

石川達三「開会式を見て、これほどの選手がここに来るのにどれほど犠牲があることかと思った。聖火をここに運ぶのにもたくさんの骨折りと費用がかかる。しかし、これによって各国の親睦が深まるならば、なんと安い犠牲ではないか」

小林秀雄「私は初めてこれほど熱心にテレビを見た。一枚の硝子に映った抽象的な絵にすぎないが、これは生きた抽象である。私は選手による肉体的な表現を満喫した。オリンピックが嫌いだった人も、始まれば案外テレビにはりついているのではないか」

・閉会式は開会式と同様に各国ごとに入場する予定だったが、選手たちが国を問わず肩を組んで思い思いに入場。現在でも有名なシーンに。

・五輪終了後は建設需要が消え、不景気に。倒産件数は2倍に。

・テレビ「つわものどもが夢の跡、五輪が終わって、五輪のために作ったものはすっかりいらなくなってしまいました」

・選手村の備品はのちに即売会でたたき売りされた。

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 こうして見ると当時も五輪への冷めた見方がありつつも、実際に始まると盛り上がったようだ。また、現在において当時の社会問題など影の部分が現在あまり思い出されず、良い面が強調されがちであることも事実といえそうだ。一方で、やはり「焼け跡からの復興」「平和の祭典」というイメージをしっかり作りつつ*3、競技も含めて大会期間中に相当な盛り上がりを作れたことが、後世に良く語り継がれる要因となっているとも見える。一方で、今回の五輪は特に見るべき大義もなく、観戦含め外出自粛の世相なので盛り上がりもそこまで期待しがたい。したがって、競技自体はそれなりにドラマがあり記憶にも残るものとなるのだろうが、ロンドン五輪でもリオデジャネイロ五輪でもない特別な「東京五輪」として語られていくことはないように思う。

*1:発言は正確な引用ではなく大意。以下同様

*2:ベトナム戦争において米国の駆逐艦北ベトナム魚雷艇に攻撃されたとして、米国が北爆を行うきっかけとなった事件。後に虚偽と判明。

*3:当然、これらが欺瞞的であるという指摘も可能